NY株式市場でディズニー株が上昇

株オンライン投資顧問によると、ABCを保有するキャピタルシティーズは全米で8つのテレビ局と21のラジオ局を所有していた。ウォルト・ディズニーとキャピタルシティーズの両社の売り上げは約165億ドルになった。巨大メディア企業の誕生となった。

米国ニューヨーク株式市場では、1995年7月31日朝、買収のニュースにキャピタルシティーズ株が一気に25%もはねあがった。ディズニー株も3・65ドル上昇して61ドルとなった。

ディズニーのアイズナー会長の発表(1995年7月31日)によると、買収の話は3年前からあった。具体的交渉は10日ほど前にアイダホ州サンバレーでキャピタルシティーズのマーフィー会長と会ってから始まった。交渉期間はわずか1週間ほどだった。

米国で歴史上2位の買収

この買収は、当時の米国では史上2番目の巨額買収となった。

RJRナビスコ社が1989年に投資会社のコールバーグ・クラビス・ロバーツ社に250億ドルで買収された。それが、この時点で歴代トップだった。ディズニーのABC買収は、それに次ぐ規模だった。

ディズニーのABC買収により、米メディア業界の再編時代が幕を開けた。この後、ABCと並ぶ3大ネットワークの1つ、CBSも買収された。米放送業界は約10年ぶりに激動期に突入した。

ディズニーランドの開園前の資金繰りを援助

実はディズニーとABCの間には浅からぬ縁があった。

ディズニーのテーマパーク第1号となるカリフォルニア州アナハイムの「ディズニーランド」開園を1年後に控えた1954年。ディズニーは資金繰りに行き詰まり、ディズニーの映画を放映していた3大ネットに借金を申し込んだ。

CBS、NBCが冷たくあしらったのに対して、ABCは450万ドルを快く貸与した。そのうえディズニー初のテレビ用映画「ディズニーランド」「ミッキーマウス・クラブ」「ゾロ」の放映も引き受けた。ABCはディズニーを苦境から救い上げた“恩人”だった。

ウォルト・ディズニー

米最大の総合娯楽・映画会社。1994年9月期の売上高は1993年9期比17%増の100億5500万ドル、純利益は1993年の3.7倍の11億1000万ドルで過去最高益。売上高のうち映画・ビデオ事業が47%、「ディズニーワールド」などテーマパーク事業が34%、キャラクター商品事業が19%を占める。

キャピタル・シティーズABC

1986年に中堅放送会社キャピタル・シティーズがABCを約35億ドルで買収して誕生。1994年12月期の売上高は1993年比12%増の63億7900万ドル、純利益は49%増の6億7900万ドル。売り上げ構成比は放送事業が82%、出版事業が18%。売上高は他の3大ネットのCBSの37億ドル、NBCの33億ドルに比べ2倍近い。ABCは1995年に入って視聴率競争でトップに立っていた。

買収額190億ドル。株式時価総額は148億ドル

ディズニーによるABC買収額は190億ドル。当時、ABC株の時価総額は約148億5400万ドル。「将来性」というプレミアムをつけると、買収額は市場の評価から懸け離れているわけではないと言われた。ディズニーの1994年度のキャッシュフローは28億ドル強と豊かだった。

ディズニーは1994年度が売上高、利益ともに過去最高だった。1994年9月期決算で過去最高益にあたる11億ドルの純利益を計上した。

「ライオンキング」のヒットなどで映画事業は絶好調だった。欧州テーマパーク「ユーロディズニー」も1995年4-6月期で黒字転換を果たした。開園以来苦戦していたが、黒字になった。

そのアイズナー会長の下でディズニーはメディアの「川下」への傾斜を強めていった。番組の供給や販促キャンペーンの展開など垂直統合による「シナジー」を狙ったからだ。

ケーブルテレビ

当時、米国の地上波テレビ放送3大ネットはCATV会社の攻勢に押されていた。しかし、視聴率では、依然として合計50%強を握っていた。

地上波テレビ局は、ニュースやスポーツ番組などのソフト製作にも強みを持っていた。ABCには、スポーツ専門CATV「ESPN」があった。

ディズニーはABCと組むことで、娯楽から報道まであらゆる映像ソフトを手中に収めた。そのソフトをテレビ放送、ビデオ、映画館など広範な「パイプ」を通じて、視聴者に届けられるようになった。

タイム・ワーナーが映画とケーブル

米メディア業界ではタイム・ワーナー(TW)が映画部門と全米第2位のCATV(有線テレビ)部門を抱えた。唯一、ソフト製作から放送・配給までの「垂直統合型事業構造」を実現していた。